巨人との89年日本Sは3連勝後に4連敗…私が4戦目に投げなかった裏側
「どうだ?」
1989年の巨人との日本シリーズ。近鉄が3連勝した日の夜だったと記憶している。私は投手コーチの権藤博さんからこう聞かれた。
1年間、先発ローテーションを守り、優勝を決めた試合は中1日でリリーフ登板。ペナントレースの投球回数はリーグ最多の235回3分の2に及んだ。最終戦から7日後の日本シリーズ第1戦に完投しただけに、私の体の状態を確認したかったのだろう。
投手コーチの権藤さんにしてみれば、仮に私が肩肘に痛みを感じているようなら、投げさせるわけにいかない。あるいは4戦目に投げられる状態なのか、確かめたかったのかもしれない。
「体に張りはありますけど、1日でもあれば、その分、いい状態に戻せます」
私はこう答えた。
正直言って、疲労はピークに達していた。
日本シリーズの初戦に完投、巨人打線を7安打3失点に抑えて勝利投手になったものの、中盤以降は投球パターンを変えざるを得なかった。ストレートで押し切れなくなり、変化球の割合を多くしたのだ。