右脇腹を痛みを耐え抜き…3試合の雨天中止と敗戦処理の立場が奏功した
そうやって痛みをしのいでいるうちに、敗戦処理から徐々に大事な場面で投げるようになっていった。
チームは5月終了時点で貯金3。首位の広島から2.5ゲーム差の3位につけていた。6月に入ったころからリリーフ陣はプレッシャーを感じていたと思う。
左腕は主に河原隆一と関口伊織と私の3人。関口は先発を兼ねていたし、河原は変則フォームでブルペンに必要な存在だったものの、制球を乱すケースが何試合かあった。
制球力は私の方が上だったから、そのあたりが次第に評価されて起用が増えていった。
■マシンガン打線が爆発
6月16日からチームは8連勝して首位に。マシンガン打線が爆発するようになり、2位巨人に2ゲーム差をつけて7月に入った。そのころから重要な場面でマウンドに上がるようになる。
そしてマウンドに上がると、権藤監督が独り言のようにボソッとつぶやくことが何度かあった。(つづく)