阪神ドラフト2位横田慎太郎さん 脳腫瘍により24歳で引退…難病を2度克服した「乗り越え方」
見えないはずの打球を捕球し、ノーバウンドでバックホーム
それから半年間、壮絶な闘病生活を過ごしたが、家族や仲間、ファンからの励ましで乗り越えられた。
横田さんは「また野球がしたい」と目標を立て、2度の手術と放射線、抗がん剤治療を耐え抜き、再びユニフォームに袖を通す日を取り戻した。
とはいえ、練習は軟球を使用し、とてもプロ野球選手とは思えないような練習から始めることに。そのときのことを思い出してもらうと、「全く恥ずかしいと思わなかった」という。
腐らないこと、励ましをプレッシャーに感じない素直さ、「やってやるぞ」という意気込みが誰よりも強い人なのだろう。だが、視覚の問題が解消されず、6年目にして現役引退を決断。育成選手としては異例の引退試合が行われることに。しかも一軍選手も見学に来るなど、横田さんの人柄を伺わせるセレモニーとなった。
19年9月26日、福岡ソフトバンクホークスとのウエスタン・リーグ最終戦。出番は9回裏といわれていたが、8回裏、突然センターの守備を言い渡された時は、驚きながらもいつものように全力疾走でポジションに向かった。
“横田選手の方にボールが飛んでいきませんように”
誰もがそう願っていたという。しかし、その思いを見透かすかのように、打球は横田さんめがけて飛んできた。それを見事にグローブに収め、ノーバウンドでバックホーム。客席が一気に湧き上がり、相手のソフトバンクの選手たちも大きな拍手を送っていた。
横田さんによると、実はこのときボールはまったく見えていなかったとのこと。自然に身体が前に出て、グローブにボールが入っていたという。
ライトを守ってきた横田さんだが、視力が完全でないため復帰後は比較的ボールが見やすいセンターの練習を続け、「開幕スタメンをとったセンターで行け」と試合2日前に監督に言われ、覚悟を決めた。いろんな奇跡が重なった引退試合は大きな話題となった。
引退後、球団からは「阪神タイガースアカデミー ベースボールスクール」コーチ就任の要請を受けるが、視力に不安が残る中で、小中学生に野球を教えられないと辞退した。