阪神ドラフト2位横田慎太郎さん 脳腫瘍により24歳で引退…難病を2度克服した「乗り越え方」
187センチと長身の上、足も速く守備位置まで全力疾走する姿が美しく、細身なのにパワーがあってどこまでも伸びる打球は、掛布雅之氏に「松井秀喜以上」と言わしめた逸材──。
2013年に鹿児島実業高校からドラフト2位で阪神タイガースに入団した横田慎太郎さん(27)は17年、沖縄での春季キャンプ中に「脳腫瘍」と診断された。将来を嘱望されながらも、19年に6年間の現役生活に別れを告げた横田さんは、現在も脊髄腫瘍などの後遺症と闘いながら第二の人生を歩んでいる。
筆者が初めて彼を知ったのが、鹿児島実業時代。夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)の県予選でプレーする“横田君”の姿だった。
阪神タイガース在籍中に体験した過酷な闘病生活の経験を生かし、講演会を中心に活動を行っている横田さんと、母・まなみさん(61)に話を聞いた。
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「横田慎太郎です。今日は心を込めてお話をしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」
横田さんは少年時代、「甲子園に行く」「プロ野球選手になる」という目標を立て、毎日練習に励んでいた。横田さんの人生は、常に目標を立てることから始まるといっていいだろう。
現在、鹿児島商業高校野球部監督を務める父・真之(まさし)さん(60)も、元プロ野球選手。
「(慎太郎の)挨拶の仕方が悪かったと耳にすると、寝てる時でも怒ろうとしたので、止めに入ったこともあります」とまなみさんが笑うほど、礼儀作法に厳しかった父だったが、意外にも直接野球を教わったことはない。横田さんは自分なりに目標を設定し練習メニューを組み立て、努力を続けてきたのだ。
「思春期に反抗的になったり、寮生活でホームシックになったりする暇さえなかった」というほど野球漬けの日々。だが努力が実らず甲子園出場の夢が断たれるも、練習は続けた。「プロ野球選手になる目標はまだ続いている」と、すぐに気持ちを切り替えた結果、阪神タイガースからドラフト2位で指名され夢を実現させる。
「甲子園に出場できなかった自分のホームが、まさかここ(甲子園)になるとは思いませんでした」
プロ野球選手として初めて甲子園に足を踏み入れた時、「なんてきれいな球場なんだろう! この芝生の上で野球ができるなんて」と感激した。学生の時とはまったく違う野球に戸惑いながらも、二軍から一軍も経験し、同期、先輩後輩と切磋琢磨しながら野球と向き合ってきた。
異変を感じたのは、プロ3年目の秋口。ひどい頭痛とめまいに襲われたものの、誰にも打ち明けずに練習を続けた。だが、翌年の春季キャンプでついにボールが見えなくなってしまった。周囲の勧めで病院を受診。「脳腫瘍」と診断された。