反則適用第1号となった若羽黒の言い分「まげを引っ張っちゃいけないなんて、知ってますよ」
1955年5月、大日本相撲協会(当時)は公認相撲規則を制定し、協会組織に関する規定をはじめ土俵規定、力士規定、決まり手などを定めた。
審判規定には禁じ手として「握り拳で殴ること」「目または水月(みぞおち)等の急所を突くこと」など8項目を挙げ、負けとすることが明記された。「頭髪を故意につかむこと」も含まれている。
さっそく同年秋場所で適用第1号があった。2日目の若羽黒-出羽ノ花戦で若羽黒の右手が相手のまげに入ったまま、抜かずにはたき込んだとみて、反則負けとされた。まげつかみはそれまで取り直しか注意だった。
規定には「故意に」とある。当時の記事によると、若羽黒は支度部屋で不満をあらわにした。
「反則なんてこんなばかなことがあるか。まげを引っ張っちゃいけないなんて、初っ切りじゃあるまいし、そのくらい知ってますよ」
初っ切りとは技や禁じ手を実演する巡業や花相撲の演目で、コントふうになってからは、まげを思い切り引っ張って笑わせる場面がおなじみだ。
故意につかんで抜けなければ、相手の倒れ方によっては自分の指も危ない。異端児といわれた若羽黒だけに、「あれはわざとだ」との声もあったというが、たとえそうでも認めないだろう。