反則適用第1号となった若羽黒の言い分「まげを引っ張っちゃいけないなんて、知ってますよ」
反則負けでは観客は興ざめ
2000年名古屋場所では、隆乃若が武双山(現藤島親方)に押し倒される間際につかんだ。苦しまぎれの故意と言えなくもないが、そもそも相撲に負けているので問題にならなかった。
実際の判断は、故意か偶然かより勝負が左右されたかどうかが基準で、幕内・十両では先場所までに66番で適用された。昭和5番、平成48番、令和13番で、頻度は39場所に1番から3.7場所に1番、1.7場所に1番と増えている。
相撲協会は10年ほど前から規則改正の検討を始め、「過失により頭髪をつかんだ場合であっても、その状態のまま(略)勝敗を決した場合は(略)負けとする」の一文を加えた。
その後「故意に」の字句とともにこの一文も削除したので、現在は勝負の途中でつかんだ場合も対象になる。
それで物言いがつきやすくなった面はあるが、こんなに増えているのは、引き技に頼り過ぎるからではないか。楽をして勝とうとしたうえに反則負けでは、観客は興ざめだ。正々堂々、潔さが本分であるこの競技の「決まり手」にもふさわしくない。
春場所千秋楽、霧馬山と大栄翔の優勝争いは本割、優勝決定戦とも霧馬山の引き技で決まった。決定戦では左手が大栄翔の頭を押さえていた。幸いまげには入っていなかったが、優勝が反則負けで決まっていたら、と思うとぞっとする。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ)1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。