阪神・加治屋蓮がプロ野球人生「2度目のブレーク」果たした背景 古巣担当スカウト明かす
「13年ドラフトは1位入札の抽選を2度外したこともあり、加治屋は素材重視で指名した選手でした。当時は先発型と考えていたから、長いイニングを投げる技術、変化球の精度をさらに磨く必要があると。野球に対する真摯な姿勢、体の頑丈さを特に買っていました。当時のJR九州さんの練習はプロの比じゃないくらい厳しかった。例えば、ポール間の往復ダッシュを120本したり、タイヤ引きなども……。その厳しさは我々の間でも語り草ですが、加治屋は事もなげに涼しい顔で取り組んでいた。まだ靱帯などに致命的なケガをしていないように、フィジカルが化け物級だったのです」
戦力外となった経緯についてさらに続ける。
「19年から二軍暮らしが続いたのは不運な要素が大きかった。ちょうど甲斐野や高橋礼など若手成長株が育ってきた頃で、二軍で好成績を残していても出番がなかった。他球団の編成担当の方から、『加治屋はなぜ一軍で投げないのか。ケガしているのか』と聞かれることが何度もありました」
戦力外が発表されると、「ショックを受ける暇もないほど、阪神から“音速”でオファーがあった」という。引く手があったのも、今季の復活劇も、二軍漬けで腐らなかったからこそだろう。