鎌田大地が完全移籍するセリエA名門「ACミラン」はこんなチーム…かつては本田圭佑も在籍
「ミランラボ」のおかげで選手寿命が延びる
その後も快進撃は続く。利根川氏が続ける。
「ミラノ郊外の練習場・ミラネッロの地下に03年に『ミランラボ』を建設。フィジカル、メディカル、メンタルの3つを統合したコンディション管理ができる施設で、選手にプレーの映像を見せながら、脳波をモニタリングして、プレッシャーの中でもリラックス状態を保てるようなメンタルトレーニングができる。選手の体の動きを正確に把握できる『生体力学ルーム』と呼ばれる部屋があり、最先端のトレーニングで選手寿命を延ばすことを目的としています。実際、ACミランでは30代でも活躍する息の長い選手が増えました」
サポーターは熱狂的といわれる。鎌田は平常心でプレーできるか。
「私が昔住んでいたローマの方が人は熱い。都会のミラノの人は洗練されていました。だから、ミラノナンバーの車でローマのスタジアムに行くと、火をつけられて燃やされるか、窓ガラスを割られるから気を付けろと言われました。かなり昔の話ですが、ACミランとインテルのミラノダービーにも色分けがあって、気取り屋のホワイトカラーが多いインテルのサポーターが、職人などのブルーカラーが多いACミランのサポーターに向かって『カッチャビーテ(ねじ回し職人)』と揶揄するのがダービーの風物詩の時代もありました。今なら『差別』と問題になりそうですが」(利根川氏)
■本田圭佑が暗黒時代の象徴の理由
ACミランに14年1月から17年5月までの3年半在籍した本田は、81試合出場で9ゴール10アシスト。カップ戦11試合を含めれば11ゴール14アシスト。及第点の成績を残しながら、本拠地・サンシーロスタジアムでブーイングを浴びるなど、厳しい批判の矢面に立ち続けた。
チームはこの間、セリエAで8、10、7、6位。監督も目まぐるしく代わった。「暗黒時代の象徴」とも言われたのは、かつてフリット、ボバン、ルイ・コスタ、セードルフらの栄光の背番号「10」を背負ったことも影響した。
「10番は重過ぎました。本田は流ちょうな英語で入団会見に臨みましたが、ACミラン時代はイタリアの番記者とあまりコミュニケーションを取らなかったと聞きます。現地で記事を書くのは主にイタリア人。単語だけでもいいから、現地の言葉を話すと受け入れられやすい。イタリア人は人懐っこいから特にその傾向がある。かつて吉田麻也がイタリアのサンプドリアに在籍した時、片言だけど、ジェノバなまりのイタリア語を話すことが、ファンから好評だった。鎌田もイタリア語を勉強した方がプレーしやすくなるでしょう」(利根川氏)
イタリアの名門はひと筋縄ではいかなそうである。