ヤクルト1位・西舘昂汰 東大生とプロ野球選手を育てた母の夢は「アメリカに行きたい」
中学時は二日市ボーイズで投手と二塁手を務めた。高山喜好監督(69)がこう言う。
「センスがいい、というのが第一印象です。投手では捕手経験を生かし、配球を捕手任せにせず自分でも考えて投げていた。ランニングや冬場の体力トレーニングもまじめに取り組んでいました」
ひたむきな姿が、筑陽学園の江口祐司監督(61=現総監督)の目に留まった。
「入学時に身長185センチほどありましたが、体重は70キロ弱と線が細かった。1年の5月の練習試合で1イニング10失点して、『この体格ではパフォーマンスは上がってこない。体力づくりが大事だ』と。3年になってからが勝負だと思っていたので、2年夏はあえてベンチに入れず筋トレなど体づくりに励んでもらった。本人は悔しかったと思いますが、2年秋には体重が80キロを超えてきて、中学時代に最速113キロだった直球は、2年秋の九州大会で144キロをマークするまでになった。西舘は体を大きくしようと、大きな弁当箱にパンパンに詰め込まれた白米とおかずを長い時間をかけて胃袋に詰め込んでいました」