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鈴村裕輔野球文化学会会長・名城大准教授

1976年、東京都出身。法政大学博士(学術)。名城大学外国学部准教授。主な専門は政治史、比較思想。野球史研究家として日米の野球の研究にも従事しており、主著に「MLBが付けた日本人選手の値段」(講談社)がある。スポーツを取り巻く様々な出来事を社会、文化、政治などの多角的な視点から分析している。アメリカ野球学会会員。

大谷翔平が蘇らせたドジャースと日本球界「深い関わりの歴史」

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 多くの日本の愛球家にとって久しぶりに耳にした生原の名前も、実際には大谷がドジャースに入団するための大きな伏線をなしていたと言えるかもしれない。

■生原昭宏、オマリー、鈴木惣太郎

 ところで、その生原を米国に導いたのが、戦前から大リーグの話題を日本に紹介し続け、68年に日本で野球殿堂入りした鈴木惣太郎だった。

 34年の日米野球の際、来日を渋るベーブ・ルースの招聘に成功するなど、卓抜な交渉力と幅広い人脈を持ち、何より野球への情熱にあふれていたのが鈴木だった。

 鈴木は読売ジャイアンツの前身である「東京ジャイアンツ」の名付け親であり、長年ジャイアンツの顧問も務め、さらには80年をもってジャイアンツの監督を退任した長嶋茂雄に渡米して野球を視察することを勧めるなど、日米球界の交流に深く関わった。

 オマリー家との交流も親密で、62年にドジャースタジアムが開場した際には記念の石灯籠を寄贈している。この石灯籠が契機となり、球場の右翼後方に日本庭園が造られ、「ソータロー・ガーデン」と名付けられることになった。

 大谷が袖を通したドジャーブルーのユニホームには、日米の野球を通した交流の歴史の一端が縫い込まれているのである。

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