98年6月の9連敗は逆転負け5度…抑え転向の黒木が2戦連続でやられナインが疑心暗鬼に
日本中がフランスで開催中のサッカーW杯に熱狂していた1998年6月。
ロッテは18日の近鉄戦で最終回の3点リードを守れず、痛恨のサヨナラ負け。近藤昭仁監督は抑え不在の中で4連敗を喫したチームのテコ入れとして、この試合で先発し、6回途中2失点だったエース格の黒木知宏の抑えへの配置転換を決断した。
この時、私をはじめとした野手陣は顔を見合わせ、こうヒソヒソ話をしたものだ。
「先発で投げたばかりだし、大丈夫なのか。ローテの層が薄くなるし、まだバタバタする必要ないのに……」
翌19日、東京ドームでの日本ハム戦は0ー7。20日の日本ハム戦は八回表で2ー0とリードしていた。その裏、先発して被安打1、無失点の好投を続けていた武藤潤一郎に代わり、新ストッパーの黒木が先発から中1日でマウンドに上がった。近藤監督の執念の継投策はしかし、裏目に出る。
ビッグバン打線に集中打を浴びて3失点。6連敗となった。黒木は後にこう振り返っている。