「横綱になれば大きな鱗のワニ革のネクタイもできる」 元横綱初代若乃花が弟子に自慢した
だが、時代とともに手にする報酬の水準は一部メジャー競技のトップと差が開いた。それどころか横綱は休場が続けば高額不労所得者のように言われる。平成の時代に最高位へ就いた音羽山親方にとって、横綱になって良かったことは何か。
「待遇なども大関とは違うけれど、一般の人も関係者のみなさんも横綱、横綱と言ってくれる。引退しても、頂点に立った者として認めてもらえる。その認められ方が他の競技とは違う気がする」
江戸時代からわずか73人。白い綱を締めて行う土俵入り。降格がなく勝てなくなれば引退するだけ。特別感が古くから人々の敬意を生んできた。そうした価値観が残るうちに、相撲界が考えるべきことがあるのではないか。
番付の都合で時に甘い昇進も認めながら、上がった後は本人と師匠の問題。高額の年寄名跡がなければ横綱でも相撲協会に残れない。横綱を夢見て飛び込んでくる若者は減り続けている。
▽若林哲治(わかばやし・てつじ)1959年生まれ。時事通信社で主に大相撲を担当。2008年から時事ドットコムでコラム「土俵百景」を連載中。