《甲斐拓也の巻》「人は人、自分は自分」の言葉を胸に刻んで這い上がった苦労人
そんな甲斐のこぼれ話をひとつ。
育成時代から、オフシーズンは同じ大分県出身の内川聖一と自主トレをしていました。僕が自主トレ公開日のメディア対応のために大分入りすると、決まって甲斐がいない。内川が「田尻さん、拓也いなくなりました」と言うので「どういうこと?」と聞き返すと、「熱出したんで、帰らせました」。ある時はインフルエンザで離脱。こんなことが、本当に毎回だったんです。
僕としては育成選手でも取材慣れしてもらうため、必ず報道陣の囲み取材などはさせていました。それすらできないので、もう目も当てられない(笑)。記者に「あれ? 甲斐は?」と聞かれても、「ああ、うん、どこか体調悪いらしいよ」と言葉を濁すのが精いっぱいでした(笑)。
そんな甲斐と同じく育成から主力に這い上がったのが、球界きってのスピードスター、周東佑京です。