ヤクルト2位 モイセエフ・ニキータ 《生きていくために日本に来ました》父が明かす壮絶半生
陰の立役者は妻
「特に熱心に勧誘してくれたのが豊川でした。『必ず甲子園に連れていく』『プロを目指せるように育てる』と真剣かつ粘り強く伝えてくれました。指導者としてプロフェッショナルに息子を育ててくれるだろうと信じさせてくれました」
豊川では1年春からベンチ入り。2年半の寮生活で体重は21キロ増の87キロに成長。今春センバツで聖地の土を踏むと、同大会から導入された低反発バットで「第1号」を放ち、卓越したパワーを証明した。
「プロに行けたのは本人の努力はもちろん、多くの指導者の方々に恵まれたおかげです。陰の立役者は妻と言いたいです。頼る親戚もいない中でニキータが野球に取り組めるよう、幼い三男、四男の面倒を見ながら、すべての時間を犠牲にして家族を支えてくれました。私の空手に文句を言わず、誰よりも応援してくれたのも妻。本人が表に出たがらないから、これを機に感謝を伝えたいです」
今秋ドラフトで指名された高校生外野手はニキータただ一人。家族の結束を胸にプロの世界の荒波を乗り越えていく。
▽モイセエフ・ニキータ 2006年11月29日、愛知県刈谷市生まれ。4歳から空手を始め、阿久比東部小3年時に東海大会優勝。野球は小学1年から阿東パワーズ、小4から東海ボーイズ小学部、阿久比中時代は愛知衣浦シニアに所属。豊川高では3年春の甲子園で大会第1号をマーク。父との会話は日本語。ロシア語は日常会話はできるものの、読み書きはできないという。左投げ左打ち。身長182センチ、体重87キロ。