言葉を失ったオールドメディアへの“しんみり感”…「すごい」を言うために記録を引っ張り出す逆転現象にもシラける
ニューヨーク・タイムズが運動部を廃して1年、日本の全国紙の運動部も大幅に縮小する中、オールドメディアの“盛る”根拠が記録だ。
スポーツの記録は時代を背負い、絶対値のようでいて活躍を盛り上げる形容詞にもなる。記録の神様といわれた宇佐美徹也はこの乱用傾向を「語呂合わせ」と喝破したが、二刀流の大谷なら「50-50」を筆頭にいくらでも記録を探し出せる。「すごい」を言うために記録を引っ張り出す逆転現象にも、しんみりしてしまう。
先週、オールドメディア・スポーツの象徴と言っていい福岡国際マラソンがあった。1947年に始まった福岡国際は、3年前に一度幕を下ろす勇み足で別大会扱いとなり、もはや大会数はうたっていない。コース記録は残るが大会記録は消えた。
アフリカ勢の台頭と厚底シューズの開発でマラソンは変わり、記録の単純比較のむなしさは選手が一番知っている。優勝した吉田祐也(GMOインターネットグループ)のきれいなフォームも技術革新を巧みに取り入れたもの。記録2時間5分16秒は日本歴代3位になるが、「記録は意識していませんでした」と繰り返す選手、記録の快挙を繰り返すテレビーー言葉が通じないメディアの姿にもしんみりした。