年俸調停の公聴会は勝敗クッキリ…球団からボロクソ貶され「犠牲」になったケースも
21世紀に入って最も大きなしこりが生じたのは、当時ヤンキースのエース格だった王建民のケースだ。
王は2年目の06年と3年目の07年に2年連続で19勝をマーク。年俸調停権を得た08年は460万ドルを希望したが、ヤンキースの提示額は400万ドル。球団が譲らなかったため、年俸調停の公聴会に持ち込まれた。
球団はその場で王建民の勝ち星が多いのはヤンキース打線が打ちまくったおかげであり、王が好投したからではないという趣旨の主張を、データをあげて繰り返した。
米国流のブラフに慣れていない台湾人の王は調停に負けただけでなく、球団が自分をそこまで低く評価しているのかと打ちひしがれてしまい、その後の野球人生そのものがだめになってしまった(その年以降、王は9年間で22勝しかしていない)。
最近の例では、前年サイ・ヤング賞に輝いたばかりのコービン・バーンズ(当時ブルワーズ)が1075万ドルを希望したのに対し、ブルワーズの提示額は1001万ドルで、溝が埋まらず年俸調停の公聴会に持ち込まれた。
バーンズが敗れたため、球団との溝が修復不能なレベルに拡大。球団はFA期限が来る前に、約40年ぶりに誕生したサイ・ヤング賞投手であるバーンズをオリオールズに放出してしまった。