吉田義男監督の練習でいつも突き指をしたが、やがて僕の「見せ場」を作る礎になった
1年目は98試合に出場し、63安打、打率.250。1年目の僕を「一軍で学ぶように」と一度も二軍に落とすことなく、育ててくれた。今では考えられない育成法だが、そのおかげで翌1998年はショートのレギュラーに定着し、133試合に出場。チーム2位の打率.293をマークした。
吉田監督が就任した直後の1996年オフ、西武からFA宣言した清原和博さんの争奪戦に参戦し、「タテジマをヨコジマに変えてでも君が欲しい」と口説いたのは有名な話だ。しかし、清原さんは巨人へ移籍。僕が阪神を1位で逆指名したのは、同じ年の秋だった。
後で聞いた話だが、吉田監督は98年ドラフトでは「上原浩治(大体大)と二岡智宏(近大)を取って欲しい」と球団に要望したそうだが、この2人も巨人を逆指名した。暗黒時代真っただ中。球団になかなか思うような補強をしてもらえず、編成面でかなり苦労したようだ。
そういえば、次の野村克也監督の時代、吉田さんから興味深い話を聞いたことがある。