大洋と巨人で外野手だった屋鋪要さん 少年野球、アマ野球の指導に専念して20年…「彼女も欲しいな」
鉄道、陶芸、ラベンダー栽培と多趣味
屋鋪さんといえば、言わずと知れた“鉄道文化人”。専門誌の連載や写真集出版の経歴もある。
「ほかにも、プラモデルや切手収集、陶芸など趣味がたくさんあります。コロナのときは野球指導ができず、家でラベンダー栽培にハマりました。難しいのでついつい夢中になり、自宅のベランダだけでなく、近所に畑を借りて育てています。カルチャーセンターで2年間、栽培指導もしました」
元プロ野球選手としては珍しい。
「OBとの付き合いは、ほとんどありませんね。みんなが好きなゴルフを僕は好きじゃなくて、話が合わない。ゴルフ以外にも人生楽しいことはいっぱいあるのにと思います。この前、やり残していること、これからもっとやりたいことは何かと箇条書きにしたところ、ジオラマ作り、1000両ある鉄道模型や趣味で収集したものの整理、花の栽培……それから彼女をつくることだな、と。ええ、今は独身なんで」
いつの間にやら、夫人と離婚していたのだ。
「1人は寂しいですから、穏やかな女性がいたらいいなと思います」
趣味で交友関係が広がり、出会いも多そうだが……。
「著名な鉄道写真家の広田尚敬さんや、所属する横浜山草会の方々と親しくさせていただいていますが、僕が一番年下で、かわいがってもらっています」
37歳のひとり息子も独身。東映勤務だそうだ。
さて、大阪生まれ、兵庫育ちの屋鋪さんは、小学校4年から野球を始め、1977年、高校から大洋ホエールズに入団すると、走攻守そろった外野手として活躍。84年、85年には連続3割をマーク。ベイスターズに16年、巨人に2年在籍し、引退。巨人に移籍した94年、長嶋茂雄監督初の日本一に貢献した。その後は解説者やコーチを務めた。
「大洋時代は、自分の成績を伸ばすことしか考えず、85年がキャリアハイでした。ジャイアンツに移籍し初めて優勝したいと願い、実際に日本一になり長嶋さんに喜んでもらえた。選手としては、ジャイアンツ時代の2年間が一番楽しく幸せでした」
横浜市内のマンションで1人暮らしだ。
(取材・文=中野裕子)
▽屋敷要(やしき・かなめ)1959年大阪生まれ。77年、三田学園高校からドラフト6位で大洋ホエールズ入団。俊足の高木豊、加藤博一と3人で“スーパーカートリオ”として活躍。5年連続ゴールデングラブ賞、3年連続盗塁王に輝いた。94年巨人に移籍し日本一に貢献。95年引退。98~99年と2004~05年の2度、巨人のコーチを務めた。