浅草通になれる本特集
外国人観光客が年間2000万人を超える時代。「浅草」は常に東京の人気スポットにランキングされている。今や仲見世通りは平日でも人混みにあふれ、公園本通り商店街(通称ホッピー通り)は昼から酒客で大賑わい。とはいえ浅草は戦前戦後を問わず、多くの苦難にも遭ってきた。果たして今の繁栄は本物なのか。そんな浅草の歴史と魅力に触れる4冊をご紹介。
浅草には「大衆」という言葉がよく似合う。
小説や映画、演芸の舞台として人々の心を引き付けてやまなかった浅草に渦巻くエネルギーやその源、痕跡を丹念に集めたのが「浅草文芸ハンドブック」(勉誠出版 2800円+税)だ。高校や大学で日本文学などを講ずる金井景子氏ら30~50代の研究者6人による共著で、外国人の見た幕末・明治の浅草を描いたR・フォーチュン著「幕末日本探訪記 江戸と北京」、浅草の不良少年たちの日常を描いた川端康成著「浅草紅団」、SF作家で直木賞受賞者・半村良の人情小説「小説 浅草案内」など、全18冊で浅草を文学散歩する。
江戸時代から浅草寺を中心に、蔵前の「米蔵」と「吉原」に挟まれ、天下の豪遊場として栄えた浅草。関東大震災、東京大空襲の焼け野原からも復興、50年代には映画館やストリップ劇場36館が立ち並ぶなどの活況を呈し、室生犀星、永井荷風らも文学の舞台としてさまざまな情景を切り取った。浅草を書けば、性や風俗、愚かさが許される自由な世界が立ち上がった。
しかし70年代、テレビの普及や風俗取り締まりなどでまたも零落。それでも寺山修司は街はずれの見世物小屋を舞台に「浅草放浪記」を発表、日常からはタブー視された大衆社会としての浅草を描き、ビートたけしは渥美清、萩本欽一らがテレビ界へと去った浅草演芸最後の残り火を「浅草キッド」で活写した。
もっとも著者らの主眼は、今日の浅草はかつて文芸作品に描かれた「大衆」の町ではなく、もはや単なる「消費者」の町になり果てたのでは、という問題提起でもある。「観光立国」のスローガンのもと、今では街全体が活況を呈している。だが、かつて文学者らを引き付けた浅草の魅力は「観光人力車」に乗るだけではなく、樋口一葉が「十三夜」で描いた、最底辺労働としての「人力車」にも触れてこそわかるのでは、と問いかける。
といってもお堅い本というわけではなく、有名な神谷バーやグルメ、土産店、銭湯なども文学者目線で紹介。巻末では、先生と学生が100年ほど前のガイドブックに沿って歩く浅草散歩の様子もつづられている。もっとも学生らの関心は参道の歴史より人形焼き、高村光太郎を語ろうと牛鍋屋前にたたずめば「お腹すいてきました」という反応しか返ってこないのだが……。
本書を片手に、浅草の「大衆」に合いに出かけみては?
「浅草はなぜ日本一の繁華街なのか」住吉史彦著
江戸前ずし5代目、「駒形どぜう」6代目、宮内庁御用達の神輿店7代目など、登場するのは浅草で長年のれんを守ってきた旦那衆9人。同じく老舗すき焼き店の若旦那が聞き手となり浅草今昔物語が語られる。「観音さま」「六区の興行街」「吉原」を巡る各人の盛衰史は臨場感にあふれ、経済的合理性を捨ててでも浅草にこだわってきた職人魂が浮かび上がる。「浅草のひとはみんな、観音さまの前を通るときは雷門あたりから仲見世越しにお辞儀をします」。この伝統こそが浅草の浅草たるゆえんなのだろう。
対談場所が浅草の大人のバー9店という粋なしつらえも楽しい一冊。(晶文社 1600円+税)
「あゝ浅草オペラ」小針侑起著
大正期の1910年代から20年代、浅草では歌手の田谷力三らを中心にオペレッタやミュージカルを上演する「浅草オペラ」が大人気となり、西洋音楽大衆化の一翼を担った。本書はその盛衰をつづる資料価値高い一冊。もともと明治時代に帝国劇場で始まった日本のオペラだったが、あまりに上流階級向けだったため失敗。それを大衆向けにアレンジしたのが浅草オペラだった。本書収録の雑誌記事や未発表200枚余の写真からは、雑然とした時代のにおいが漂ってくる。近年では「浅草オペラ」が再評価され、2014年には新たな浅草オペラ団が誕生した。
29歳の浅草オペラ研究家による「浅草オペラ本」の決定版。
(えにし書房 2500円+税)
「私の浅草」沢村貞子著
テレビなどの普及で廃れた浅草興行街にひとつの光明をともしたのは、昭和53年放送のNHK朝の連続ドラマ「おていちゃん」だった。本書は浅草出身の女優・沢村貞子の半生記で、昭和51年発売の同名復刻版。
舞台は下町。駄菓子屋のおばさんに叱られた話、吉原のきれいなお姉さんの話、暦と密接につながった日々の営み……。戦争の足音がまだ遠い大正時代の「穏やかな幸福感」が漂う浅草をつづった74本のエッセーを収録。「女の子は泣いちゃいけないよ。泣いてると、ご飯の仕度がおそくなるからさ」。浅草女の心意気が胸にしみ入る名著。
(平凡社 1300円+税)