「『神国』日本」藤弘夫著
2000年5月15日、当時の森喜朗首相は、神道政治連盟国会議員懇談会で、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と発言し、これが問題になった。これは、神道政治連盟に対するリップサービスであったようにも思えるが、神道政治連盟の背後には、最近話題になることが多い日本会議がある。現在の首相が、同じような発言をしたら当時よりも騒ぎは大きくなるだろう。
現在の安倍晋三首相も、政教分離の原則に違反する可能性があるにもかかわらず、宮中祭祀に出席しているし、サミットのおりには伊勢神宮に各国の首脳を案内した。安倍首相の頭のなかには、やはり日本は神国であるという観念があるのかもしれない。
本書は、そうした日本を神国とする観念が、歴史を通してどのようにとらえられ、また変化してきたのかを明らかにしたものである。原本は06年に刊行されたちくま新書「神国日本」であり、今回講談社学術文庫の一冊におさめられたということは、依然としてその観念が日本の社会において重要だと認識されていることを意味している。
自らを神国としてとらえるような国は、日本以外には存在しないのではないだろうか。一神教の広まった国々においては、神への信仰は国境を超えて広がっており、特定の国を神国としてとらえることは、かえって神の普遍性を否定することにつながる。
したがって、キリスト教圏やイスラム教圏では、本来成り立たないものだが、唯一の例外がアメリカだ。アメリカには、選民思想があり、自国を「神の国」として賛美する傾向がある。神国にしても、神の国にしても、それはナショナリズムと強く結びつく。
本書で詳しく論じられているが、日本の神国思想の特徴は、それが仏教と深く結びついているところにある。それは矛盾しているようにも思えるが、背景には神仏習合の本地垂迹説があり、神々は仏が日本に姿を現したものとされた。神国の背後には「仏国」があり、だからこそ日本は尊い国だとされるのだ。
近代はこうした神道と仏教の関係を断ち切る。そのとき、中世から近世にかけて次第に無力化された天皇という存在が再び浮上した。現代の神国思想は、森発言にもあったように、天皇と深く結びついているのである。
(講談社 940円+税)