「理想の死」を考察する生々しいルポ
たとえ重い病に倒れても、“生き続ける可能性”を信じてつらい治療に耐え抜くべきだろうか。それがもし、治癒困難の病でも? もし、自分が高齢でも?
宮下洋一著「安楽死を遂げるまで」(小学館 1600円+税)は、安楽死や自殺幇助(ほうじょ)が認められているヨーロッパ各国で、安楽死に携わる医療関係者、見送った家族、そして安楽死を選んだ患者本人を取材した渾身のルポだ。
冒頭から、スイスのバーゼルで著者自身が立ち会った安楽死の瞬間のシーンが描写される。享年81の英国人女性。がん治療を望まず、安楽死を選んだという。医師が点滴薬を入れる。患者の手首に巻きつけたストッパーを患者自らが開くことで、薬が体内に入る。
「思い通りに生きられなくなったら、そのときが私にとっての節目だって考えてきました」
そんな言葉を残し、彼女はストッパーを開く。20秒ほどの後、枕に乗せられていた頭がまるでうたた寝のようにコクリと傾く……。
スイスでは積極的安楽死は違法だが、特定の要件が満たされていれば自殺幇助は違法に当たらない。要件とは、①耐えられない痛みがある②回復の見込みがない③明確な意思表示ができる④治療の代替手段がない、という4つだ。ニュアンスは違えど、他の安楽死容認国でもこの要件はおおむね共通している。
全死因の4%が安楽死というオランダでは、患者が終末期であることを明記しておらず、痛みについても“肉体”には限定していない。そして認知症や精神疾患も耐えがたい痛みの範疇(はんちゅう)として検討され、安楽死が実施されているという。
安楽死を認めていない日本で起きた「安楽死事件」についてもルポ。「理想の死」とは何かを考えさせられる。