「サボる哲学」栗原康氏
「働かざるもの食うべからず」という格言がすんなり受け入れられている日本社会で、サボることを追求するには覚悟がいる。自分がいかに使える人間かを周囲にアピールする方が、受けがいいからだ。
しかし、自らを「いかなる支配も存在しない世の中をめざすアナキスト」と名乗る著者は、労働に人生をささげない「サボる哲学」を提唱する。
「人間は、誰も自分のことを奴隷だなんて思いたくないですよね。人からおまえは奴隷だなんて言われたら当然むかつく。だけど、働いて金を稼がなくちゃ、賃金をもらわなくちゃ生きていけないと脅され、賃金を稼ぐためなら命令に従いますという状況に追い込まれる資本主義は、金によって人を支配する新しい奴隷制度です。だからこそ、当たり前だと思わされてきた労働を疑わないといけないんです」
そもそも、決められた時間に会社に行き、長時間労働をこなして家に戻るという生活を繰り返すようになったのは、人類にとってはつい最近のこと。1カ所に人を閉じ込めて労働させるようになったのは、ヨーロッパで資本主義が広まり始めた18世紀からだという。
「4章に資本主義の形成期にいかに労働する体が作られたかについて書きました。18世紀の資本主義の根幹にあったのは大西洋貿易で、洋上に浮かぶ船の上で船長は絶大な権力を持っていました。水夫は船長に逆らえば暴力にさらされサメの餌にされる、熱病や伝染病にかかったら港に置き去りにされる、水や食料の分配を制限されることで従順さを身につけるなど、そこには現代の労働の原型がありました。実際、船は工場の語源でもあるんです」
■海賊はゼロ労働精神で平時はダラダラ
著者はこの章の中で「海賊」という存在にスポットライトを当てている。水夫が乗る船に海賊船が襲来し、海賊が船長を殺したところで水夫に次の港で下りて水夫のままでいるか、海賊になるかを尋ねると、皆が海賊を選択。なぜなら、海賊の船長は商船の船長とは違って専制権力を嫌い、分け前も平等だったし、病気になったり、手足を失ったりした人にも優しかったからだ。
「海賊業は一般的なイメージと違って、基本はゼロ労働精神で通常はダラダラ過ごし、ターゲットを見つけたときだけ頑張るシステムだったんですよ。当たり前のようにサボり、遊んで過ごす金がなくなったら商船を襲う。海賊は、決して敵と同じ土俵では戦わず、サボる体の戦い方で生き抜いたんですね」
とはいえ、イマドキ海賊になるわけにもいかない私たちは、サボるためにどう戦ったらいいのか。著者はそのヒントとして「自発性」を挙げている。
「自発性とはやむにやまれない衝動にかられてとっさに体が動いてしまう力のことです。目的を達成するまでの道程をまっすぐに効率的に動くでもなく、限られた選択肢の中から何かを自分で選ぶ選択の自由でもなく、理由はわからないけれど動いてしまった、やってしまったという自発性こそが鍵です。大事なのは、いままで他人に無意識に支配されてきた自分自身を、自分で打ち砕けるかですね」
本書には、理由はわからないけれどやってしまった事例として、野良猫を助けるために仕事を辞めてしまった看護師や、オンライン授業にゲスト講師として呼んだ友人が交通機関を使わず3時間半かけて我が家に歩いてきた話などが紹介されている。
「コロナ禍で労働について考え直す機会を得た人も多いはずです。ウィズコロナで経済を回せという号令は、実は死んでも働けと社会から言われているのと変わらない。絶望する前に本書のサボる実例を参考にしてほしいですね」
(NHK出版 1023円)
▽くりはら・やすし 1979年生まれ。政治学者、作家、東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に「大杉栄伝~永遠のアナキズム」「村に火をつけ、白痴になれ―伊藤野枝伝」「はたらかないで、たらふく食べたい―『生の負債』からの解放宣言」などがある。