本橋信宏(ノンフィクション作家)
2月×日 “困ったときの小池真理子”──。編集部にそんな暗黙の合言葉があった。
1981年春。フリーランスの物書き稼業になった私の主戦場は週刊大衆だった。
女子大生が実名顔出しでヌードになったり体験手記を書いたり、風俗でバイトしたり、注目を集めたときで、週刊大衆も「仮面を脱いだ彼女たち」という特集を組んだ。
このときコメントを寄せてもらったのが1978年に「知的悪女のすすめ」(KADOKAWA)を書いた小池真理子だった。
クレオパトラ風黒髪の美女で、タイトルの連想から冷たい論客かと、緊張しながら電話をかけた。するとイメージとは異なり、無名の若い女性が世間に打ってでることの難しさと覚悟を平易な言葉で語ってくれた。
このときから14年後、直木賞作家となった。
2月×日 以前、藤田宜永さんの「転々」(新潮社)の解説を書いた。言うまでもなく、藤田氏は小池さんの夫である。
後に藤田氏から過分なまでの礼状をいただいた。知人の編集者いわく、氏にかかわった人はみな藤田さんのことが好きになってしまうらしい。
唯一の自伝的長編「愛さずにはいられない」が長らく絶版でAmazonでは万を超える高値がつき、手が出せなかったが、藤田氏の死後、小池さんの強い推しによって新潮文庫で復刊された。僥倖である。
2月×日 話題の書、小池真理子さんの「月夜の森の梟」(朝日新聞出版 1320円)を読む。
肺がんで夫を亡くした妻の哀切きまわるエッセー。医師から余命を宣告された夫妻は、軽井沢の自宅にもどる。饒舌なはずの夫がやっと口を開いた。
「あと何日生きられるんだろう」
迫りくる夫の死を思うと妻は気が狂いそうになる。こんな切迫した刻でも腹は空く。妻は湯気のたつカップラーメンをすすりながら場違いの食欲を自嘲する。
忘却は第2の死である。残された者は生きなければならない。
カップラーメンをすすってでも。