「入り江の幻影」辺見庸著
「入り江の幻影」辺見庸著
ある夜、著者は犬の頭をなでながら暗然と「未来」を思う。いまより、よき未来がやってくると本気で信じている人はどれくらいいるだろうかと。
著者には妙な確信がある。未来は、まちがいなくいまよりずっと悪くなるだろう。昨年末、「徹子の部屋」に出演したタモリが質問に答えて言っていた。「2023年は新しい戦前になるんじゃないでしょうか」。その予言通りなら現在は戦争を目前にしている。日本の軍事費は過去最大の約6兆8000億円となった。「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を規範的要素とする平和憲法など、まるで邪魔物扱いである。気が付けば憲法9条を語る人々が激減している。つまりこの国があるべき「よりどころ」を失いつつあるということだ──。
戦争の足音が聞こえる、とつづる著者のため息が聞こえるようなエッセー集。
国葬から浮かびあがった瀕死状態の日本の民主主義から犬猫の殺処分の実相まで、我々が無意識に目をつぶってきたような問題を掘り下げ、その本質に迫っていく。その一方で老犬をいたわるエピソードや自身の老いへのあらがいなど著者の日常生活もつづる。時代を揺るがす大問題と日常生活からも目をそらさず、矛盾する現実に生きることの大切さが伝わってくる。
(毎日新聞出版 2200円)