<第1回>日本女子大学の発起人・広岡浅子のゆかりの地
■目白台の三井家別邸をポンと寄付
そんな彼女が晩年に取り組んだのが、女性の高等教育の充実。実家の三井家とかけ合い、学校用地として文京区目白台の三井家別邸の土地5520坪をポンと寄付。おそらくこの時も「手ぶらでは戻れまへん」と脅し文句を言ったに違いない。地元不動産業者によると、「この辺りの坪単価は200万~230万円。今の値段なら120億円は下りません」と言う。
そして明治34(1901)年に誕生したのが、日本初の女子大学・日本女子大学校(現・日本女子大学)だ。今回訪れたのは、その校舎。現在、敷地内にある成瀬記念館では、「女子大学校創立の恩人─広岡浅子展」(月曜定休、火~金=10~16時30分、土=10時~正午)が開催されている。
見渡せば、周囲みんな女子大生ばかり。学生食堂も全員が女子、図書館も女子の群れだ。当たり前だが、男子トイレを探すのが難しい。いずれにせよ、浅子の思いが詰まった学園で才媛たちが勉学にいそしんでいた。
次回は、浅子が晩年を過ごした麻布へ。なんと米国発祥のアイスクリーム店になっていた。(つづく)