岩井ジョニ男が振り返るタモリの運転手時代と勘違いの30代
教えてもらった店にバイトで入ったら、そこはホストクラブでした(笑い)。シャンデリア付きのダンスホールがあり、おばさんとジルバを踊ったりする。だから、最初はお客さんのたばこの火のつけ方とか接客を教えてもらいました。お笑いと何の関係もない。
田舎出で奥手だからまったくモテなかった。他のホストのように非情になれなくて、お客さんからチップをもらうとかできませんでした。それにお笑いを目指して上京したのに「女性を口説いてお金をもらってどうするんだ?」と思い、1年そこそこで辞めました。
他の飲み屋で働いたあとに、タモリさんの運転手を務めた期間があります。やっと芸人に近い仕事です。4年半くらいやりましたかねぇ。
驚いた出来事はタモリさんの対談の仕事で漫画家の赤塚不二夫先生のお宅にお邪魔した日。「おまえ、ちょっと酒作れ」と先生に言われて流しに行くと、蛇口が2つあって1つは水だけど、もう1つはひねると焼酎が出てくるんです。色は同じだから間違いやすいですけど(笑い)。その焼酎を緑茶で割った緑茶ハイを先生に出してました。飲まれる姿を見て「うまそうだな」と思って、今僕も緑茶ハイを飲んでます。