赤塚不二夫編<8>療養中でも「リハビリ」と称しゲイバーへ
ひいきの一人に喜劇役者の三木のり平(桃屋の海苔の瓶詰の似顔絵と声で親しまれていた)がいたので、熱海に店を出したときに、店名を付けてもらったそうだ。立川談志師匠が独演会で「日本は青江のママと林家三平(落語家)が戦争に行ったから負けたんだ」とよく話していた。
温泉に別荘と環境を変えたリハビリの成果もあって2001年には快気祝いをホテルで盛大に行った。参加者に励まされ、先生は新作漫画にも取り組もうとしていた。
「弥次喜多の東海道五十三次を僕のキャラクターを総出演で描いてみたい」というプランだった。
「弥次さんをバカボンのパパ、喜多さんをおそ松くんの組み合わせは面白いかも。途中で出会う謎の美女を“ひみつのアッコちゃん”にしよう」などと話は盛り上がり、私が下調べの命を受けた。
現代版の五十三次にするために東海道の現在を見るロケハンに出掛けた。日本橋から品川、川崎と要所の街道と道路沿いにある風景やビル、お店までルポして写真を撮ってくる作業だった。写真とメモでその都度、報告。