SMAPで男性アイドルがバラエティー本格進出 事務所の革命
ジャニーズのルーツ編(5)
国民的なアイドルとして後にジャニーズ事務所の屋台骨となったSMAPだが、そのデビューは散々なものだった。
1991年発売のデビューシングルはジャニーズ史上、最低の売り上げ。ジャニー氏がジュニアの中から独特の感性でピックアップしたメンバーでグループを結成。メリー氏のマネジメント力で売り出し軌道に乗せるパターンが崩れたのだった。
このピンチに事務所は奇策に出る。事務をしていた飯島三智氏を初の女性マネジャーに抜擢。SMAPの運命を託した。
飯島氏は大学卒業後、音楽プロデューサーの推薦でジャニーズ事務所の事務職として就職していた。
「女性を採用する際、男性アイドルのファンである子を優先するといわれています。ファンは裏切らないし、タレントのために一生懸命、仕事をするというのがメリー氏ら幹部の考え方」(芸能関係者)
飯島氏は自らマネジャーを志願。斬新なアイデアで勝負をかけた。
当時、在京キー局の歌番組が激減。正統派のアイドルも活躍する場をなくしていた時期だ。目を付けたのが関西ローカルのバラエティー番組。それまで距離を置いていたお笑いへの挑戦だった。