杉山清貴さんが中2で出合った「ドゥーチュイムニイ」の衝撃 沖縄言葉の歌がなぜ刺さったのか
沖縄、島への憧れの原点
ものごころがついた頃から南の島への憧れはありました。沖縄はそれまでアメリカだったのに突然返還された。最初はピンとこなかったけど、当時の社会的な情勢とかもあったし、沖縄にすごく興味を持てたという面もあったのかもしれません。沖縄には今も友だちも多いし、よく行きます。住んだことはないけど、島という意味ではハワイには住んじゃいましたし。
父親は警察官、公務員です。その姿を見ていて子供の頃からネクタイを締めて会社に行く、満員電車に乗る、仕事が終わって定時に帰るという生活は絶対したくないと思っていました。中学に入ってからもこれからどうやって生きていこうかとか、そんなことばかり考えていました。いろんな人の言葉とか、好きなミュージシャンの言葉、好きな作家の言葉……。「ドゥーチュイムニイ」や手塚さん、ジョージ……。僕はそういった人たちのちょっとした言葉が刺さってこれまで生きてきたんだと思います。言ってみれば永遠の中二病みたいなものですね(笑)。でも、ミュージシャンという生きものはそういう人たちだと刷り込まれてきた気もします。
アマチュアの時にやっていた音楽はオメガトライブの世界に近い、海の歌や夏の歌が多かったのですが、そこには必ずメッセージも含まれていました。でも、デビューすることになってプロジェクトの一員になり、自分の主張を出す必要はないと思ってきたけど、将来的には自分が伝えたいことがあるなら、出していこうとは思っています。常にバランスを考えながらですが。
佐渡山さんとは一度もお会いしたことがありません。僕が何回か「ドゥーチュイムニイ」のことをしゃべったことがあって、それを佐渡山さんのマネジャーさんが見て伝えてくれたようで、CDを送っていただいたことがありました。「今は忙しく動き回っていますので、いつか機会がありましたら」と手紙のやりとりが1回あっただけです。
9月の松山までは弾き語りコンサートをやっています。5月には3年ぶりのオリジナルアルバム「FREEDOM」とオメガトライブ時代の楽曲を含む初の「オールタイムベスト」を同時発売しました。9月からバンドツアーをやりますが、新旧を交ぜながら「FREEDOM」収録の9曲を全部やろうかなとも考えています。新旧の曲をどう構成するかは悩ましいですね(笑)。
(聞き手=峯田淳・絹見誠司/日刊ゲンダイ)