歌手・大江裕さん 「パニック障害」克服までを語る
その日の晩、次の公演先の国分に泊まると、ホテルの15階の窓から下を見ても全然怖くない。そのくらい気持ちが不安定になっていました。
以降、半年以上びっしり埋まっていた僕の予定は、事務所の先輩方が代わってくれ、事務所を卒業した松原のぶえさんまでもが「何言ってるの、ファミリーじゃない?」と、僕の穴を埋めるために奔走してくれました。今でも思い出すと自然に涙があふれますね。
■「来るなら来てみろ」
病名はパニック障害でした。どこが悪いとも明確なものがないので言うに言えず、怠け者だと叩かれ、その時はなぜ生きているのか、自分の存在理由すらわからなくなっていました。
ある日、事務所から電話があり、行くと北島(三郎)先生が待っていました。僕の頭をゆっくりなでながら、「俺は、裕の歌がもう一度聴きたい」と言ってくださって。申し訳なさと安堵感で、床にボロボロ涙を落としました。
その後、先生の1カ月の地方公演に同行し、疲れたら先生の楽屋で休み、空き時間にピアノを弾いてボイストレーニングをしてくれました。