原千晶さん「後悔」 子宮頚がん・子宮体がん闘病を全激白
医師とは月に1回必ず細胞を採る検査を受けると約束し、真面目に通いました。体調も良く、毎月「大丈夫そうだね」という医師の言葉を聞いていました。それが2年も経過すると賭けに勝ったような気になって、3年目に入ると仕事が忙しくなったことを口実に、ぱったり病院に行かなくなってしまったんです。
子宮体がんが分かったのは、それから3年後ぐらいです。経血の量が増え、なんかおかしいと思っていたら、ある日突然、経験したことのない腹痛に襲われました。再びクリニックで診察してもらうと、にわかに周囲がバタつくのを感じました。明らかにマズイ感じで……。その時、思いました。「私は賭けに負けたんだ」と。
以前に通院していた大学病院で検査をすると、子宮体がんの「ステージ3C」と診断されました。医師に「なぜ、こんなに放っておいたの。厄介ながんになってるよ」と指摘され、歯がガチガチ鳴るほど震えました。「手術できるかな……」という医師のつぶやきも聞こえて、強烈な後悔の念に襲われました。すぐそこに「死」がちらついていたんです。
治療は、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を全摘出という5時間の難手術に加え、抗がん剤を6クール(1クール3週間)行いました。副作用は脱毛、手足のしびれ、吐き気、味覚障害など、何が起こるかは予測不可能。自分でまいた種だと覚悟しつつも、気持ちが不安定になって周囲の人たちの心もかき乱しました。親、友達、スタッフ……がんは、こんなにも人を巻き込んでいくものなのかと思い知りました。