作家・佐川光晴さんは重症肺炎を経験「離れた場所で暮らす長男に電話で遺言をしました」
佐川光晴さん(作家・57歳)=重症肺炎
私が常ならぬ様子で横たわったまま動かなくなり、白目をむいたり、急に立ち上がってバッタリ倒れたりしたので、そばにいた妻と次男は「死んでしまうかもしれない」と本気で心配したそうです。退院してから聞いた発症時の姿が、私が意識していたものとまったく違うので面白いものだなと思いました。
昨年の7月23日のことでした。地元の夏祭りを家族で見物したあと、自宅の1階で夕方のニュース番組を見ていたのです。すると突然、胸が苦しくなって、その場で床に伏したきり、身動きできなくなりました。声も出せません。それでも私は落ち着いていて、「コロナに感染したのかな」と考えました。コロナなら、すぐに死ぬことはないはずなので、夫の異変に気付いた妻が救急車を呼ぶ懸命な声も、次男のスマホから聞こえてくる「どうにかしろ!」と弟を叱咤する長男の声も冷静に聞いていました。救急車が来れば助かるのだから、それまではじっとしているに限ると考えていたわけです。
ただし、体調が急変して心臓が止まる危険性はあるわけで、離れた場所で暮らす長男に「もしかすると、もう会えないかもしれない」と電話を通して遺言をしました。死に対する恐怖感はなく、意識が飛んだ記憶もないのですが、肉体が危機的な反応を見せていたのは冒頭に述べた通りです。
家族の必死の要請で、救急車より先に消防車が到着しました。酸素マスクを当ててもらうといっぺんに楽になり、「助かった」と安堵したのを覚えています。そのときの血中酸素濃度は90%(正常値は96%以上)を切り、熱は40度まで上がっていたのですが、呼吸が苦しいとか、体が熱いといった感覚はありませんでした。当時はコロナの第7波が猛威を振るっていたため、受け入れ先がなかなか決まらず、ようやく病院に着いたのは倒れてから4時間後の夜10時半ごろでした。「重症の肺炎」と診断され、コロナの疑いもあるため専用の個室で隔離状態になりました。
その後の診察により、コロナではなく細菌性の肺炎であること。左肺の炎症が非常に強かったため、肺の外側に膿がたまる「膿胸」という症状を起こしていること。その膿を排出するには、手術により、肋骨の間から専用のチューブを挿入する胸腔ドレナージなる処置を行う必要があること。膿は1リットル以上もあり、1週間ほどかけて抜いていくとのことを医師に告げられました。
鼻には酸素吸入の管、腕には抗生物質の点滴がつながれていたので、管が3本になると思うといい気持ちはしませんでした。しかし膿を抜き出すと呼吸がとても楽になり、回復への希望を抱きました。
■免疫力が著しく低下していた
私は物書きになる以前、10年以上も力仕事をしていて、筋肉質でガッチリした体形をしていました。それが一夜にして枯れ木のごとくやせ細ってしまい、気持ちを落ち込ませないようにするのが大変でした。手術後は6人部屋に移り、リハビリなどをしながら3週間と2日で退院になりました。その後は医師も驚くほど順調に回復し、肺もすっかりきれいになりました。
老齢でないのに肺炎がこれほど重症化したのは免疫力が著しく低下していたからだそうです。思えば、倒れる4~5年前から公私ともに大きな出来事が重なりました。私は「主夫」でして、妻は多忙を極める小学校教員です。一人娘である妻の実家に入り、家事全般を担いながら物書きをしてきました。
2019年1月、初の新聞連載が始まる直前に妻の父が急逝し、わずか3カ月後に妻の母も亡くなりました。義父は地元の小中学校で校長を務めた名士だったため大きな葬儀となりました。相続の手続きなども大変でした。1年3カ月に及ぶ新聞連載の終盤にコロナ禍になり、高校生だった次男の授業がリモートになると3食を用意しなければならず、連載終了後も気が休まりません。
ひと息つけたのは昨年の春です。3歳上の妻が定年退職となり、次男が大学に合格。7月には抱えてきた仕事にも区切りがつき、「この夏は休む」と妻に宣言した直後に見舞われた大患でした。
一番つらかったのは、コロナ禍で面会が禁止だったことです。私はそれまで携帯電話を持っていなかったので、数日間は家族と連絡がとれませんでした。入院から4日目の午後、妻の声が聞こえた気がして、3本の管をつけた姿で廊下に出ると、着替えを持ってきてくれた妻が10メートルほど離れたナースステーションの前にいます。蚊の鳴くような声で呼び、私に気づいた妻が両腕を大きく振ってくれたときには涙が止まりませんでした。
我ながら偉かったと思うのは、医師や看護師さんに余計な質問を一切しなかったことです。言われたことをきちんと守り、食事も毎回完食。家事も執筆もせずに、涼しい部屋でたっぷり眠るという、予定外の夏休みを満喫したのでした(笑)。
(聞き手=松永詠美子)
▽佐川光晴(さがわ・みつはる)1965年、東京都生まれ。北海道大学法学部卒後、出版社、食肉処理場勤務を経て、2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞を受賞。11年には「おれのおばさん」で坪田譲治文学賞を受賞している。今月末に書き下ろしの新作「猫にならって」が刊行予定。その他「牛を屠る」「満天の花」など著書多数。
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