緩和ケア医の山崎章郎さん 抗がん剤の過酷な副作用を経験して「がんと共存」を選択
山崎章郎さん(緩和ケア医/75歳)=大腸がん
「手術後の大腸には問題ないですが、両側の肺に多発転移があります」
副作用に苦しみながら再発予防目的の経口抗がん剤治療を続け、もう1クールというところで、主治医からそう告げられました。手術した時点ではステージ3だったのにステージ4に進行したのです。
副作用の過酷さを体験した私は、次の段階の抗がん剤治療を選択せず、がんと共存することを考え始めました。がんは増殖しなければすぐに命に関わることはない──。その観点から改めてがん治療を勉強し直し、身をもって試し、3年間経過観察してきた結果、今現在、両肺のがんは発見当初より減少状態で安定しています。「寛解」とも表現されますが、私は「共存」と呼んでいます。
大腸がんがわかったきっかけは、腹部がごろごろと鳴る「腹鳴」です。腹鳴は腸内のガスが狭い所を通過するときに出る症状です。2018年6月ごろに気づき、8月にそれが頻回になったあたりから、元消化器外科医として「大腸がん」を確信しました。
検査をすると、多数のポリープとともに、いかにも“人相”の悪い大きめの腫瘍がS状結腸に見つかりました。11月にはそれを腹腔鏡手術で切除し、1週間ほどで退院。その段階では肺や肝臓への転移はなく、唯一、転移の疑いがあった1個のリンパ節も一緒に切除でき、すぐに仕事に戻りました。
さて、問題はそこからです。術後、病理検査の結果、切除した疑惑のリンパ節にやはり転移があり「ステージ3の大腸がん」だったと判明し、再発予防のために経口抗がん剤を服用することになりました。2週間服用し、1週間休薬するという1クールを全8回、約半年間の治療です。
ところが2クール目から副作用で食欲が落ち、慢性的な嘔気が続き、下痢も日常的になりました。同時に手足の皮膚が黒ずみ、手のひらの筋の部分や指関節がひび割れ、やがて出血するようになりました。足裏も手のひら同様にひび割れ、歩くたびに痛みました。それでも365日、24時間体制で訪問診療を続けていたのです。
しかしそれも4クール終了時に限界となり、1カ月休薬することになりました。すると手足の状態が改善され、嘔気が消え、食欲が回復したのです。
治療を再開すると再び副作用に苦しみました。けれど7クールまできたので「やりきろう」と思った直後、CT検査の結果で「両肺に多発転移」が見つかったのです。結果的に再発予防の抗がん剤は私には効果がありませんでした。
次の段階の抗がん剤を勧める主治医に「1カ月考えさせてほしい」とお願いしました。抗がん剤を受けるメリットが見当たらなかったからです。
■エビデンスづくりに奔走
ステージ4の大腸がんの場合、標準治療の目的は「治癒」ではなく「延命」です。しかも延命した時間の大半を副作用との闘いに費やす可能性が高い。やがて打つ手がなくなると自宅療養となり、最期を待つというのが終末期医療の現実です。
でも、緩和ケア医として終末期のがん患者さんを多く診てきた私は、抗がん剤治療を中止したことで副作用が軽減し、体力が回復してくる人が少なからずいることを知っていました。「私の場合」もそうだったようで、みるみる元気になり、日常を回復しました。
もちろん、いずれはがんが悪化し、死に直面します。でも、そこで生じる苦痛や変化、それらを緩和する手段は、職業柄熟知していたので不安はなく、もう抗がん剤治療はやめて、自然に任せようと決意しました。せっかく元気になったのだから、身辺整理をしたり、今できそうなことをやろうとね。そんな日々の中で「抗がん剤はやりたくないけれど、少しでも長く、穏やかに自分らしい生き方がしたい」という人たちの適切な選択肢がないことに気づいたのです。
怪しげながん治療があふれる中、医師の自分が見て、ある程度筋の通った文献やデータを参照してたどり着いたのが「MDE糖質制限ケトン食」を中心とした「がん共存療法」です。がんの栄養となるブドウ糖を制限することに主眼を置いています。一般的に食事をするとインスリンが出て血糖値を下げようとするわけですが、そのインスリンががん細胞の増殖に関係しているので、血糖値を抑えることが基本となります。段階を経てクエン酸療法や少量の抗がん剤との併用など、自ら実験台となって確立してきました。
ただ、このままでは私的で怪しげながん療法で終わってしまうと思い、エビデンスがつくれるよう奔走しました。そしてこのたび、聖ヨハネ会桜町病院の生命倫理委員会の承認後に、日本財団からの助成も決まり、1年間の臨床試験が始まりました。2022年12月から参加者を募集しています。条件は「大腸がんステージ4の人」などかなり限定されますが、いつの日か幅広く使える保険医療になることを目指しています。 (聞き手=松永詠美子)
▽山崎章郎(やまざき・ふみお) 1947年、福島県生まれ。消化器外科医を経て、91年に聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長となる。2005年に在宅診療専門「ケアタウン小平クリニック」を開設し、多くの終末期患者を看取ってきた。現在は同医院の名誉院長。近著に「ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み」がある。「がん共存療法」臨床試験参加に関する情報は聖ヨハネ会桜町病院HP(http://www.seiyohanekai.or.jp/sakuramachi-hp/)から「お知らせ」を参照のこと。
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