山口県岩国市の名所「錦帯橋」5連の“木造アーチ橋”は何度も流されて完成した
関ケ原の合戦後に岩国3万石を治めることになった毛利輝元の重臣・吉川広家は、錦川を天然の外堀とする城を横山の山頂に築き、川の両岸に城下町を造営した。城はその後、一国一城令によって壊されたが、上級武士と下級武士の居住区は錦川を挟んで分かれたままで、両エリアをつなげるために橋が必要だ…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り528文字/全文668文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】