早稲田卒、商社OLの称号は「貧乏な夢追い人」とは違うの。誰よりも高い“現在地”は私だよね?【西大井の女 #2・神宮寺 翠42歳】
【西大井の女 #2・神宮寺 翠42歳】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
かつて西大井にあったお笑い養成所に通っていた3人の女。約20年後、懐かしさで当時使用していたSNS・mixiのコミュニティに麻梨乃が書き込むと、2人の同期生から返信があった。1人は丸の内のキャリアウーマン・翠だ。当時はなぜ入学したのか謎だったが…【前回はこちら】
◇ ◇ ◇
オフィスフロアの隅にある小部屋で1人紫煙をくゆらせていると、他部署の後輩が入室してきた。あえて私を視界に入れないようしているのか、彼はすぐスマホでバリアを張った。
彼は確か、今年新卒の男の子だ。名前は山本といったか。
午前10時、会社が一番バタバタしている時間に、新人がひとりでここに入ってくるとはいい度胸だ。しかも、私に頭も下げもしない。仕事上のかかわりはないが、顔くらいは知っているはずなのに。
元芸人が「お笑いサークル」出身者に見向きもされず
「営業2課のヤマモト君だよね」
あえて話しかけると、彼は肩を大きく揺らして私を捉えた。その驚きように私も驚いた。
「あ、はい…ええと――」
「3課の課長代理の神宮司です。ごめんね、夢中になっているところ」
「あぁ、大丈夫です」
何が大丈夫なのかわからない。ただそのそっけなさで、彼の中での私の扱いは同僚や上司ではなく、妙に馴れ馴れしい怪しい年上のババアなのだと踏んだ。
確か、彼は大学の後輩でもあるはず。密かに気にかけていたのに…。
「お笑い、好きなの?」
敢えて空気を読まず話しかける。彼のスマホに貼ってあったのは、芸人さんのイラストステッカーだった。すると途端、彼の瞳に光が宿った。
「はい、早稲田のサークルでお笑いやってたんです」
それを受けて「私も早稲田卒なの」と告げる。だが、聞き流された。
その後は、友人がプロになりM-1の準々決勝に行ったとか、深夜のテレビに出ているとか、そういう話を自分事のように彼は語りはじめた。
――まぁ、私の同期にも、賞レース優勝者とか、今ゴールデンのレギュラーを持っている売れっ子がいるんだけどね。
喉元まで出かかったが、どうにかして自分を大きく見せようという純粋な虚栄心を踏みにじることはできず、しばらく聞き役に徹する。空気を読む力は、かつてお笑いの養成所に通っていた頃に飲み会で得たスキルだ。
愚痴を「mixi」に投稿するのが日課
『ムカツク。挨拶くらいしろよな
売り手市場でラクして入ったからって舐めてんのかよ
てかさ、今の時代に早稲田出身でうちの会社って、相当落ちこぼれのはず
大手で給料イイのはわかるんだけどさ。そういうもんなの? 今の若者って』
自宅マンションに帰宅して、すぐパソコンを立ち上げると、
<今日の愚痴Vol㉓>
とタイトルをつけてmixiに日記を投稿した。
久々に動き出したコミュニティ。投稿者はなんと…
今さらmixi? と思われるかもしれないが、ここはもはや閑散とした公園だから逆に心地がいい。大声でわめいても苦情が来ない。
3年前にその快適さを知ってからは、ことあるごとにここに逃げ込み、あっちの公園ならすぐ炎上しそうな火の粉をまき散らしている。
書き終え、深呼吸をしてマイページを更新すると、珍しく通知がきていた。
背筋にひんやりとしたものが伝う。
――私以外にまだmixiを見ている人、いるんだ…。
私は慌てて、公開していた日記を非公開に設定変更した。
「こんな人だった?」再会した友人に違和感
「おまたせしましたー」
なぜか今さらコミュニティが動き出した。コメントをした3人で同窓会をすることになった。
時間きっかりにたどり着くと、久々にコメントを書き込んだ主の麻梨乃さんが1人待っていた。
「翠、久しぶり。今日はありがとうね。私が言い出したのに、予定のすり合わせや場所の提案までしてくれて」
宴の場は、あの頃よく授業帰りに行っていた町中華だ。
コンビニやチェーン店以外で、西大井で変わらない場所と言ったらここしか思いつかなかった。適当に選んだので礼を言われるのが申し訳なかった。
「いいんですよ。忙しくて予定がすぐ埋まるから、早めに決めたかっただけです」
「忙しいって、今、何してるの?」
「ざっくりいうと、丸の内の商社で働いているんです。出張も多くて」
メンバーは私と、今は3人の子持ちという麻梨乃さん、あとは現在何をしているのか謎のすみれだ。すみれは少々遅れるという。
「大変そう。でも、そういうのが翠は合ってるよ。バリキャリってやつ?」
「麻梨乃さんも幸せそうじゃないですか。結婚して3人も子供がいて…普通に幸せを手に入れているって感じです。私にはムリだけど」
「当時から翠はテキパキとした優等生タイプだったもの。社会人として優秀だったから、なぜあんなとこに? って今も思ってる」
彼女の言葉は、へりくだっていながらもどこか上の方から聞こえた。確かに、年上ではあるものの。
――あれ?
『こんな人だったっけ?』と首をかしげる。
慎重に謙虚に言葉を返すことにする
それでも表向きには謙虚な言葉で応戦する。雪の日の坂道のような慎重さを持ちながら。
「ありがとうございます。私がWYCに入ったきっかけは、単に対人スキルを磨きたかったからなんですよ」
麻梨乃さんの疑問に、私は用意された後付けの理由を答えた。本音を言うと足元がすくわれるような気がして。
当時、どこにも就職できなかったことが理由なのに。
就職に失敗し、夢を追うフリをしていた
ぶっちゃけそれは、大手狙いがあだになって、就職浪人となった翌年に、その事実を認めたくなくて目の前にあった夢らしき藁を掴んだだけ。お笑い自体はその頃、現実逃避の術としてよく見ていたコンテンツだった。
WYCは学費さえ用意できれば、誰でも入れると言われていた。だから、『あえて就職はしないスタンス』を装うことができる。
と言っても、惰性で養成所に通っていたわけではなく、天性の真面目で、がむしゃらに目の前のものに向き合っていた。結局、就職と同じで努力の分だけ報われるような世界でないことを突きつけられ、心折れたわけだが。
あの子、まだ芸人なんてやってるの?
「そうなんだ。真面目に授業受けていたにもかかわらず、意外とすぐに辞めたからずっと不思議だったの」
「形だけ頑張っていただけですよ。すみれちゃんの純粋な頑張りとは違います」
「すみれ。当時から目立っていたもんね」
SMILE☆すみれこと、山崎すみれは、同期で一番の天才と入学当時から騒がれていた高卒の女の子だ。尖ったシュールな芸風ながらも、明るい上にセンスもあり、みんなの愛されキャラだった。
「――あの子、今も芸人やっているみたい。全然名前は聞かないけど」
すみれの現在を検索したらしく、麻梨乃さんは半笑いで教えてくれた。呆れ? いや、蔑みだろう。
かくいう私もそれを聞いて「よく続けてられるよな」と正直に思ってしまった。検索しなければ存在がわからないくらいだ。案の定、売れていないのだろう。
その一方で、彼女がいまだ相変わらずの状態であることが嬉しい。
ステージが上がってしまった同期の戦友が出ているテレビは、実は薄眼でしか見ることができない。
きっと、少なからず悔いのようなものがあるんだと思う。
「経済格差」を気遣ってあげなきゃね
「ねぇねえ、すみれが来る前にこの良さげな紹興酒、ボトルで頼まない? 彼女の前でボトル頼むのは申し訳ない気がするのよ」
「わかる。たぶん、金銭感覚違いそうだし」
すみれのことを会話の中心にし始めたら、緊迫したお互いの心がほどけたような気がした。なぜだろうか。同じ方向の目線で見られるからだろうか。
5000円のボトルと、この店で一番高い料理であるアワビの炒め物を注文した。
彼女は専業主婦だし、万が一私に合わせようと無理をしていたら申し訳ないが、夫さんは大手企業勤めということを自ら言っていた。大丈夫だと思うべき、であろう。
「カンパイ」
店主が上海で仕入れてきたという熟成ものの紹興貴酒。
あの頃は薄いソーダ割しか飲んだことはなかった。その濃厚なコクと芳醇な香りに、ここにいる誰よりも高い現在地をかみしめた。
【#3へつづく:主婦とバリキャリの「マウント合戦」は漫才よりも笑える。“負け顔”ができる女芸人の観察日記】
(ミドリマチ/作家・ライター)
■外部リンク
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