昭和ラブホが好きすぎる! 41都道府県、170軒以上制覇した女性カメラマンが語る魅力とは
男女の欲求に最大限こたえる形で造られたラブホテルの原型は戦後とされる。その独特のデザインと内装はインバウンドにも評判だが、そんな昭和のラブホテルが好き過ぎて、写真集を出版した人がいる。カメラマンの那部亜弓さん(40)だ。名前から分かるように女性である。2018年から170軒以上訪れたという。昭和ラブホのどこに引きつけられるのか。(写真は那部亜弓さんの提供)
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写真集「HOTEL目白エンペラー」(東京キララ社)のページを開くと、昭和世代にはおなじみの部屋が次から次へと目に飛び込んでくる。大きな貝殻の中に回転ベッドが置かれたり、2階から滑り台で風呂にザブンしたりと豪華絢爛だ。さらに趣向を凝らした部屋は桃山風、ラスベガス、遊園地、サイケ、宇宙、乗り物……。それぞれのテーマはバリエーションに富み、まるでテーマパークだ。シティーホテルのスイートルームをも凌駕する濃厚な魅力が漂う。
廃虚巡りがきっかけで
今も全国の昭和ラブホ巡りを続ける那部亜弓さんが、最初に引きつけられたキッカケは、大学生時代にはまった廃虚巡りだという。
「いわゆる廃虚好きで、木造の学校や病院に行ったり、長崎の軍艦島を旅行したりして有名なところは片っ端から訪れました。戦前の廃虚が多く残るサハリンももちろん制覇。昭和の性風俗も大好きで、閉鎖したストリップ劇場やラブホには興奮していました。そういう昭和の雰囲気には、“性臭”が漂っているのが魅力なんです」
自らのラブホ好きを再認識したのがフリーカメラマンになってから。2018年に、ある出版社から「昭和エロを感じる廃虚の写真集を作りたい」と企画を持ち込まれた。それで全国の秘宝館などを巡っていると、気づけばラブホテルばかり撮影している自分に気づいたという。
不倫カップルに撮影を依頼されて
ちょうどそのころからカップルから写真撮影を依頼されるようにもなっていた。女性カメラマンであることから、撮影される側の女性が安心するのが理由のひとつ。3組に1組が「2人だけの記録を残しておきたい」と願う不倫カップルだったそうだ。そんなある日、中年不倫カップルの撮影場所に指定されたのが、神奈川県川崎市にあるラブホテル「川崎迎賓館」。映画「ヘルタースケルター」のロケ地にもなった、1980年開業の老舗だ。
「シャンデリアは開業当時の価格で1200万円で、オーナーがベネチアから運んだそうです。その撮影までラブホのイメージといえば、“手ごろなヤリ部屋”と思っていたのですが、その話を聞いて衝撃を受けました。名もなき愛の舞台空間をデザイナーが英知をかけて造っているんです。すごいなって。ラブホに対する考えが百八十度変わりました」
「川崎迎賓館」が閉鎖
それから頭の中はラブホ一色に。19年に廃虚本を出版すると、その次は昭和ラブホの写真集へと思いを深めていく。
その年、“ラブホ愛”にさらに燃料が投下される出来事があった。「川崎迎賓館」が閉鎖することになったのだ。毎日のように撮影にも使われていた名店なのに……。
「老朽化が理由でした。ソープランドと同じようなもので、風俗営業法が厳しくなったため、建て替えが難しくなっているんです。迎賓館は最後を見届けることができましたが、地方の多くのラブホも同じように老朽化で閉店しています」
その年の10月、那部さんは迎賓館の解体現場を撮影。記念に備品を譲ってもらったそうだ。
「フォトジェニックな昭和ラブホは、永遠には存在しません。昭和のラブホは消えてしまう運命ですから、私が記録していくしかない」
そう強く感じ、ラブホ巡りが加速することになる。そこに追い打ちをかけたのが、20年から拡大した新型コロナウイルス感染症の猛威だ。当時、男女の出会いを禁じるようなムードが全国に広がり、日本中の多くのラブホが休業、閉店していった。
実家で回転ベッドを引き取る
都内の老舗ラブホ「シャトーすがも」もそんなひとつだった。「すがも」は都心には珍しく、回転ベッドがあり、それは「デザイン、形、赤色」と那部さんにとって理想的なものだった。ラブホが閉店すると、ベッドは解体工事とともに壊されてしまう。「ゴミにされるぐらいなら私が持ち帰ろう」と一念発起。ホテル側と交渉し、回転ベッドを譲り受け、千葉にある実家の自分の部屋に運んだという。
「鉄道ファンが、電車のプレートや駅の看板を記念に集めるのと同じような感覚です」
ベッドを回転させる機械部分は鉄の塊で、木造の実家にはとても持ち込めない。もうひとつは電圧の問題だった。実家で1人暮らしの父には伝えることなく運んだが、父は何も言わずベッドの設置を手伝ってくれたという。何とか部屋にベッドを運んだものの、いまは回転はしない。
聖地は岡山、広島。関東なら千葉、埼玉
かくしてこれまでに訪れたラブホは全国41都道府県170軒以上、200室に及ぶ。ラブホ好きの女友達と巡ることが多く、「部屋のハシゴは当たり前」。1日に3、4部屋巡ることもある。そんな昭和ラブホを探し当てるコツはなにか。
「訳あり感があるホテルが好きなのですが、ウェブに情報がないホテルは古いです。外観から古そうだと思って入室すると大抵1980年代から90年代の建築。外観は古くても内装はほとんどが平成の間に改装されていて、同じホテルでも部屋によって当たりハズレがあります。ハズレるとすぐにチェックアウト。休憩料金の3000~4000円がパーですが、この文化を守るためにささやかながら役に立てばいいかな、と割り切っています。この6年間で500万円くらいは使ったかもしれませんね。計算したくないな(笑)」
昭和ラブホの聖地を全国で挙げるなら岡山、広島。関東なら、千葉の八街や幕張がおすすめで、写真集の表紙になった幕張の「ファミー」は昭和ラブホの代表格だという。埼玉にも古き良き昭和ラブホが点在するが、メディアの取材は受けたがらないため、「なんとか自力で探してほしい」とのこと。
五感を駆使したセックスは記憶に残る
しかしなぜ、昭和のラブホはこんなにコッテリしているのか。那部さんの持論はこうだ。
「セックスには、脳でするものと体でするものがあります。体でするセックスは、衛生的なベッドルームがあればよく、内装にこだわることなくビジネスホテルで十分ですが、そういう部屋でのセックスは記憶に残りませんよね。一方、昭和のラブホでは、五感を駆使してセックスをするので脳が満足し、記憶に残るんです。話はそれますが、舞妓さんが髪を結ってもらうと、1週間解くことができないといわれます。そんな不思議な日本の文化も、ラブホ建築に影響していると思います」
高度成長期のラブホでは、車でチェックインすると、ボーイが迎えてくれたところもあった。税金を取られるなら、内装にカネをかけるホテルオーナーも少なくなかったという。
時代が進んで令和のいま、こんな贅沢で遊び心にあふれるラブホは造られないだろう。昭和ラブホは消えても、昭和ラブホで過ごした記憶は永遠に不滅、か。