サリバテック 砂村眞琴CEO(1)膵臓がんのスペシャリストは社長と医師の「二刀流」
砂村はもともとは東北大学の付属病院でがん研究やがん治療にたずさわり、特に治療が難しい膵臓がんのスペシャリストと呼ばれた。それがクリニック開業を経て、会社の社長になったのは、「もっと多くの人に最先端の医療を届けたい」という思いがあったからだという。
生まれは東京・葛飾区。そこで母方の祖父が開業医をしていた。さかのぼれば伊達藩の藩医という名家だ。父は普通のサラリーマン。砂村が生まれてしばらくは祖父の家の別宅で暮らし、幼稚園の入園に合わせ練馬区に買ったマイホームに転居した。区立小学校を経て、中学・高校と東京学芸大学の付属校で学んだ。
「高校は世田谷だったのですが、当時盛んだった学生運動の影響で学校がバリケード封鎖。1年生の時は授業がほとんどなかったんですよ。なので、入学直後から部活のサッカーに明け暮れましたね。当時としては珍しい芝生のグラウンドがあったので、釜本や杉山といった日本代表のスター選手が練習に来ていました。それを間近で見るのが楽しみで……」
授業が再開されても、仲間とデモに行くなどして、3年間まともに授業を受けなかった。ところが、当時の反体制思想に触れ、さらには祖父が開業医だったこともあり、「父親のように一生会社に使われる人生は自分には合わない。自由に生活できて、人の役に立つ仕事をしたい」と、無謀にも医者を志すのだった。(つづく)
(ライター・いからしひろき)