壽屋 清水一行社長(1)鬼滅の刃、エヴァ…緻密な模型で海外に名を轟かす
鬼滅の刃、スター・ウォーズ、エヴァンゲリオンなどに登場するキャラクターの緻密なフィギュアやプラモデルで定評のある壽屋。その名は国内のみならず、海外のマニアにまで轟いている。東京都立川市の小さな玩具店を、そこまで育てたのが2代目社長の清水一行氏だ。街場の小さな玩具店が、自社オリジナルのキャラクターまで擁するホビー商品の企画・製造・販売企業となる道のりは、どうしてなかなか平坦ではなかった。
清水氏は1954年4月、立川駅前で玩具店を営む家に生まれた。父は壽屋初代社長の一郎氏だ。
「店舗兼自宅で、12月から翌年5月までは羽子板やひな人形、五月人形を売り、一年の残りはおもちゃを手がける、小さな玩具店でした」
当時の立川は、米軍基地のある街だった。清水氏が小学校3年生だった64年、立川駅でガソリンを満載した在日米軍用タンク車が衝突、炎上する事故が発生。その火災によって清水氏が住む自宅兼店舗も焼失。
「近くの倉庫に転居したのですが、そこは家の裏手が基地のフェンスという場所でした」と清水氏。
朝から夜まで航空機エンジンをテストする爆音が響いていたが、慣れてしまえば、それでも寝られたという。
売り物のおもちゃを勝手に持ち出して分解
そんな基地の街で育った清水氏は、家遊びが好きな内向的な子どもだったという。リモコンの車やヘリコプターなど、玩具店に新しいおもちゃが入荷すると、勝手に持ち出して分解。おもちゃが好きというよりは、どんな仕組みで動いているかに興味があったのだと、清水氏は振り返る。
「分解して元に戻せなくなったおもちゃを、返品してと店に戻しても怒られませんでした」
後を継ぐ長男だからと、大事にされていたのだろう。小学校高学年から独学でギターを習得し、中学・高校ではバンドを結成。それをきっかけに芸能界に興味を持つようになった。
「通っていた法政一高は、エスカレーター式に法政大学に進学できる。それなのに、テレビマンを育成する専門学校に行きたいと、親に頼みました」
ところが、おまえは後継ぎだからと、認めてもらえなかった。
渋々、法政大学に入ったが、「どうせ後を継ぐのに、勉強しても仕方ない」と1日で行かなくなり、アルバイト生活を始めたのだった。
お歳暮の包装、焼きそば店などいろいろなアルバイトを経験したが、記憶に残っているのはつらい仕事だという。自動車工場では、塗装前の車体を溶剤で拭き上げる役割を担当して、流れ作業に追いまくられた。
精肉店の卸売業では、食肉処理場で仕入れた30キロもある豚肉をトラックに放り込んで冷凍倉庫に運んだり、精肉店に納品したりした。
「通っていた処理場の食堂では、昼食に大鍋で作ったモツ煮込みが出て、みんなでそれを食べていたのですが、私はなかなか食べられませんでした」
いずれは玩具店の後を継がなければならない。その現実を受け入れる踏ん切りがつかず、中ぶらりんな気持ちで続けたアルバイト生活だった。 =つづく
(ジャーナリスト・五嶋正風)