イルキャンティ 笹間章CEO(3)1号店を1972年オープン…店名はイタリアンワインから
儲からなくては給料も出せない。笹間氏も、はとバスの半分以下の給料しかもらえなかったという。そういう経営状態が続く中、先輩は一人、また一人と店から去っていった。最後に残ったのは、笹間氏一人。はとバスを辞め、本格的に店の経営を引き継ぐことになった。
さて、どうやって店を立て直していくのか。
「レストランだというのに、何しろ料理がおいしくなかった」という笹間氏がまず考えたのが、それがあるからキャンティに行くというような、名物メニューの開発だった。
ターゲットにしたのは、男性客だ。
「今もそうですが、イタリアンは女性には受けがいい。ですが、当時は男性からは見向きもされていませんでした」
男性客が喜ぶ、酒のつまみになるような新メニュー。笹間氏の頭の中には、すでに秘策があった。 =つづく
(ジャーナリスト・五嶋正風)