時代屋 藤原英則社長(1)浅草を盛り上げる「観光人力車」のパイオニアは副業の達人
「人力車が活躍した明治・大正時代に強く引かれたことが、すべての事業の原点になっています」
■サークル結成がきっかけに
藤原の人力車との出合いは、同志社大学2年の時だ。兵庫高校の先輩が使っていた手作りの人力車を譲り受けたのをきっかけに、大学内で「人力俥友之会」というサークルを結成して、学園祭に参加することにした。学園祭に訪れた客を人力車に乗せ、大学のすぐ南側にある京都御所の中を走って戻ってくる。これが大評判となった。
それ以来、日頃は弓道部に所属するかたわら、学園祭では人力車を引くという大学生活を送るようになる。当時は欧米文化への憧れが強い時代で、古いものはダサいというような風潮があった。
「サークルを立ち上げたのは、そのような世相に対する反骨精神というか、自分にとっての表現手段だったと思います」
車夫が主人公の映画「無法松の一生」への憧れもあった。
「人力車は、そういう過ぎ去った時代へのノスタルジーの象徴だったのです」