時代屋 藤原英則社長(2)31歳で再び人力車サークルを立ち上げる
人力車3台を衝動買い
再び、人力車と関わることになったのは31歳の時だ。海外留学を終え、仕事も一段落した頃、何か新しいことをやりたいという思いが湧いてきた。
「そうだ。以前やっていた人力車で何かできないかな」
毎年開催される「横浜開港記念みなと祭」のパレードに人力車で出場することを思いついた。
方々探しまくって人力車を借り、社内のサーフィン仲間やスキー仲間を誘った。その中のサーフィン仲間が、出身校である早稲田大学のキャンパスで大学生の勧誘活動を行ってくれたおかげで、大学生を含めて総勢30人を集めることができた。かねて温めていた「時代屋」という名前をつけた。
「人力車を3台連ねて、そこに着物姿の女性メンバーを乗せ、両脇に半纏を着た車夫が並び、竜童組(宇崎竜童がダウン・タウン・ブギウギ・バンドの後に結成したロックバンド)のビートのきいた曲に合わせて、ダンスを踊りながら練り歩きました」
せっかくこれだけメンバーが集まったのに、このままで終わるのはもったいないと思った。
「人力車3台を衝動買いです。サークルをつくるには人力車がないと始まりませんから、給料やボーナスをつぎ込みました」
社宅住まいでは、人力車を置く場所もない。苦肉の策として分解して部屋に入れ、イベントに参加する時には現地まで運んで組み立て直した。 =つづく
(ジャーナリスト・林美保子)