韓国という国がなぜか羨ましい…大統領の暴挙にすぐ立ち上がった市民の意識
私が北朝鮮に行ったのは1985年の5月だった。
金日成が君臨し、レーガン・中曽根・全斗煥といわれていた時代であった。一人で1カ月間という条件。後で知ったのだが、民間人としては作家の小田実以来の準国賓待遇だった。
拉致問題は一部の新聞が報じていたが、緒に就いたばかりであった。視線が体に突き刺さってくる感覚を、ピョンヤンの街なかを一人で歩いた時に初めて知った。
だが、多くの北の人たちと話してみて「祖国統一」にかける情熱だけは本物だと感じた。あれから40年近くが経ち、北朝鮮は核を保有し、ICBM級を発射する国になったが、私には北が同じ祖国である“南鮮”を武力で侵略し、市民を殺戮(さつりく)しようと考えているとは、今でも思えない。
その5年前の1980年、韓国で起きた「光州事件」を知ったのは、北の政府の役人たちと話していた時だった。
独裁を続けていた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、束の間、市民は取り戻した民主主義を謳歌(おうか)していた。「ソウルの春」といわれたが、朴に師事していた全が軍事クーデターを起こして再び暗黒の独裁政権ができてしまった。全は戒厳令を敷いたため、多数の市民が立ち上がって抗議したが、全の命令で軍が発砲し3000人以上の死傷者を出したというのである。