中畑さんの晩酌にお付き合いしながら新聞を読んだら熱が出た
「ミーティングで『継続は?』って聞いたら、大介は『力なり!』と返さずに、『疲れます!』と答えたよな。あれ、講演でウケるんだよ」
今となっては、中畑さんに右手を差し出して、「その分のギャラをくださいよ」と応じるようなフランクなお付き合いをさせていただいていますが、当時の僕は駆け出しの21歳です。打撃コーチで、巨人の大先輩でもある中畑さんに「部屋に来い」と言われれば、NOはありません。
そうして毎日のようにお呼びがかかった僕の役目は、焼酎の水割りをつくりながら晩酌のお供をすることです。
その後に部屋でマンツーマンの打撃指導をしてもらうわけではなく、バットの代わりに持ったマドラーでせわしなくグラスをかき混ぜるのが日課でした。
そして、そんな晩酌の肴のひとつになっていたのが、僕の朗読です。新聞を手渡され、「よし、読んでみろ」。今も昔も漢字が苦手な僕が適当に読み上げるのを、中畑さんはケラケラ笑いながらおいしそうにグラスをあおるのです。
そんなことが続いたある日、僕が風邪をひいて練習をリタイアするや、「知恵熱出してんじゃねえ!」と怒られたのには参りましたが、こうした他の選手とはまた違った特別な付き合いをさせていただいたことで、中畑さんからルーキー松井秀喜の運転手役にも指名されたわけです。そんな松井は何から何まで規格外でした。(つづく)