「32試合連続安打」を捨てて四球選んだ西武・秋山の“矜持”
秋山の四球後、犠打と死球で2死一、二塁。続く4番・中村がサヨナラ3ランを放って、西武は連敗を4で止めた。結果として秋山の四球がおかわりの一発を呼んだのだから「我慢」の甲斐もあった。
個人記録よりチームの勝利。野球は団体競技だから当然でも、心からそう思って実行できる選手は多くはいない。秋山は試合後、「これが実行できたことは自信になる」とも言った。
八戸大時代の同級生・楽天の塩見は、大学時代の秋山について「勉強に部活にとにかくマジメでした」とこう言った。
「僕は(卒業まで単位不足で)ギリギリでしたけど、アイツは3年までに必要な単位はフルに取っていたと思います。勉強か練習。遊びより練習している方がいいという感じでした」
12歳のとき、父親ががんで他界。以来、元教員で母親の順子さんは神奈川県内の中学に非常勤講師として復職。女手ひとつで秋山をはじめ3人の子供を育て上げた。「おカネの心配はしなくていい。自分のやりたいことをやりなさい。食べたいだけ食べなさい」が口癖だった。秋山が大学進学後はスーツケースに食材を詰め、差し入れしたこともある。
チームの勝利のためなら、目の前の個人記録を捨てて四球を選ぶ。秋山の性格や人間性は、その生い立ちや家庭環境と無縁ではない。