<上>競歩のレベルを上げるためにマラソンの力を借りた
リオ五輪の日本選手団は41個のメダルを取った。50キロ競歩で日本初のメダルを獲得したのが荒井広宙(28)だ。レース終盤、カナダ選手を振り切り3位でゴール。直後の失格騒ぎなどもあって話題を集めた。競歩の発展に尽力した関係者はあまたいるが、元日本陸連選手強化委員長の澤木啓祐氏(72=順大特任教授)もそのひとり。国内競歩の軌跡と、それとは対照的に衰退している国内マラソンについて聞いた。
――リオで競歩が、やっとメダルを取りました。
「国内競歩のパイオニアといえば斉藤和夫さん(故人=元陸連競歩強化部長)です。長距離から転向し、1964年の東京(25位)、68年メキシコ五輪(17位)の50キロに出場した選手です。メキシコ大会は標高約2300メートルでの開催だったのですが、高地トレーニングに対する取り組みが未熟だったことで、思うような結果につながらなかった。そこから競歩は、メキシコでの高地合宿を繰り返すことになったのです」
――それから50年近く経っていますね。
「科学的、医科学的な数値を出しても、現場の指導者は競歩の経験値を優先し、トレーニングの知識やノウハウが少なかった。科学的なデータと現場がうまく融合しなかったのです。私が2001年に強化委員長になってから、競歩の指導者にはもっと幅広く勉強をしてもらいたいと伝えた。指導者は誰もが専門バカなんです。バカにならなければいい作品(選手)はつくれないんだが、世界と戦うわけですから、いろいろな知識があった方がいい。その第1弾が、今の陸連競歩部長を務めている今村文男君の海外研修です」