日ハム1位・堀瑞輝は身近な目標達成と父の助言が糧だった
昭和中学校では野球部に所属。野球はあくまでクラブ活動の一環に過ぎなかったが、「近所の野球を教えてくださる方のおかげで結果が出るようになり、面白くなったのでしょう。高校に行ってからは迫田監督のおかげです」と、義和さんは言う。
好きこそものの上手なれ。三振が取れるようになれば、もっと取りたいという欲が生じる。そこで正しい努力ができるかどうかが分岐点。転機で正しい方向に進むためのヒントは、義和さんが与えていたようだ。
「自分なりの身近な目標を立てて、それを順番にクリアさせていければいいかなと。例えば瑞輝が3歳のとき、大山(鳥取県・標高1729メートル)に行ってみようやと、頂上まで連れていった。小学4年から3年間は富士山(標高3776メートル)へ。今度は日本で一番高い場所からの景色を見てみようと。しまなみ海道(全長約60キロ)を自転車で渡ったりもしました」
と、義和さんはさらにこう続ける。
「とにかく人の話はしっかり聞きなさいと。話をきちんと最後まで聞いた上で、正しい、自分に合っていると判断したものは取り入れなさいとは言いました。小学校のときは、にわかコーチのような人がたくさんいて、いろいろなアドバイスをもらっていたようなので」