テコンドー協会の“黒い歴史” 過去には街宣車の嫌がらせも
8日に開かれた全日本テコンドー協会の理事会はまたも、荒れに荒れた。大幅に延長された会議は6時間以上。総辞職を求めて出席していた高橋美穂アスリート委員長が倒れ、救急車で搬送されるハプニングも起きた。
今年9月の強化合宿ボイコット騒動に端を発した内紛だが、テコンドーのお家騒動は今回が初めてではない。2004年、内紛によって「全日本テコンドー協会」と「日本テコンドー連合」に分裂。岡本依子(現全日本協会副会長)はアテネ五輪に個人資格での参加を強いられた。
12年に税制優遇を受けられる公益社団法人に移行したものの、1年後には国庫補助金から支給されたコーチ報酬の還流が発覚。さらにその1年後には補助金の一部が金原昇会長に渡る不正会計が分かり、内閣府から勧告を受けた。同一団体が2度勧告を受けるのは初のことだった。
かつてテコンドー協会の理事を務めていたスポーツコンサルタントの春日良一氏は、こう振り返る。
「もう8年ほど前の話になりますが、JOCを退職後、約2年間、協会に在籍していました。ところが、資金難のせいなのか、2年間で理事会は一度も開かれなかった。地方の理事を東京へ呼ぶにも、移動費は各自の負担。それでは誰も来ないというのが理由でした。当時から金原会長や協会内への監視体制、チェック体制というものが機能していない団体でもあります」