松坂は“死ぬまで現役”が本心 西武で引退→指導者を拒否も
■自ら自由契約
だがしかし、だ。そもそも松坂は西武復帰が決まったというだけで、将来的な指導者どころか、古巣で引退すると決まったわけでもない。それどころか、1年契約が切れた来オフ、「まだ現役を続けたい」と言い出す可能性もあるのだ。
松坂は14年オフ、ソフトバンクと3年12億円の契約を結び、日本球界に復帰。右肩のケガもあって3年間でたったの1試合しか登板できず、ファンからは「給料ドロボー!」の罵声を浴びた。
それでも現役にこだわり、17年オフに入団テストを経て中日入り。昨年は11試合で6勝4敗、防御率3・74と復活の兆しを見せたものの、今年はさらなる右肩故障もあり、冒頭の成績しか残せなかった。
中日は再契約を打診したが、当の松坂は拒否。西武時代から懇意にし、中日入りの決め手となった森繁和SDやデニー友利国際渉外担当が退団したことに触れ、「僕もいてはいけないのかと思った」と、自ら自由契約を選んだ理由を語っていた。
「その言葉は本心でしょう。でも、松坂は松坂なりの計算もあったはず。森さんは監督時代の18年、松坂を『客寄せパンダでもいい』と割り切って起用していた。今季はケガがあったにせよ、与田監督になってから出番は激減。『現役は続けたいが、このまま中日にいても投げられるかわからない……』と判断し、ならば移籍にかけようとなった。松坂はとにかく投げたがりですからね。結果的に大型契約を裏切ったソフトバンクへの贖罪の念、拾ってくれた中日への恩はあっても、『一軍で投げたい!』という気持ちが優先。いくらリハビリ中といっても、練習日にゴルフに興じるなど、他人がどう考えていようが気にしない性格。2年前にソフトバンクからコーチ就任を打診されながらこれを拒否。本人はそんな打診はなかったと言っていたが、そもそも指導者になるなんてことが頭にない。ボロボロになるまでマウンドに立っていたいというタイプです」(中日関係者)