体操・梶谷信之氏「1回は出たい」と這い上がりメダル獲得
「約1カ月間、バーンアウト状態に陥ってしまったんです。体育館へは行くのですが、どうしても練習をする意欲が湧いてこない。ただ座って見ているだけという葛藤の時間でした。今思うと、この頃は肩や腰に故障を抱えていて満身創痍。年齢も20代後半で回復が遅くなっていた。
そんな状況で心が折れてしまったのかもしれません。それでも自力で何とか戦線に戻れました。ケガが治ってきて気持ちが前向きになったのもありますが、『何とか1回は五輪に出たい』という執念というか、思いが湧いてきた。五輪は来年。もう練習しないとダメだと焦りが出てきた。筋力は落ちましたが、精神状態を持ち直すことができたんです」
■着地までの2秒の間に走馬灯
何とか代表メンバーに選出され、84年の五輪本番を迎えた。
「平行棒の予選は2位。種目別決勝は、しっかり着地を止めないとメダルは厳しいという状況でした。演技中も最後の着地に神経を集中していたら、着地するまでの2秒足らずの間に、これまでのことが頭を巡ったんです。そして、着地も決められて、ほぼノーミスで銀メダルが獲得できた。感無量でした。しかし……あれが走馬灯というものなのでしょうか。不思議な現象でした」