元サッカー日本代表・大野俊三さん 第2の人生は波乱万丈
「同僚はジーコ、アルシンドら。特にジーコと一緒にプレーできたのは、僕のサッカー人生に大きなプラスとなりました」
ジーコ選手は練習や試合前、ロッカールームで着替える際に洋服を丁寧に畳むのが常。「帰ってきた時にぐちゃぐちゃになってると、気持ち的に整理がつかない」のが理由だった。
「遠征でも、ホテルの自室から出る時はジャージーやスエットではなく、ちゃんとポロシャツとジーパンとかに着替える。オンとオフのケジメをキチンとつける、ってことですね」
同年、Jリーグ優勝こそ逃したが準優勝の栄誉に輝き、日本代表に選出。“ドーハの悲劇”にもピッチには立てなかったものの参戦している。
その後、96年に京都パープルサンガへ移籍したが、同年で引退。育成スタッフを3年やって鹿嶋市へ戻った。
「最初に選んだ仕事は、アントラーズ関連の業務がメインの広告代理店の営業マンでした」
だが、副業で始めた飲食店経営に失敗。数百万円の負債を抱えてしまう。